さぶだけど。ねた。

2008-07-11

[]これって 13:30 これって - さぶだけど。ねた。 を含むブックマーク

実際に中学の頃に裏切られた。

それからだ。他人に興味を持てなくなったのは。

人との間に壁を作り、拒絶した。

そんなこんなで10数年、もうりっぱなATフィールドが完成した。

他人に興味を持つにはどうしたらいい?

裏切られたってどの程度のもんなんだろうね。10数年でものの見方が変わって,それも仕方なかったんだよなとかそれでもやっぱり許せないけどでもいいかという心境の変化はなかったんだろうか。中学生のまま止まってるの?なんで?永遠に中学生の僕で居続けることを臆面もなく述べられると鼻白む。

変化を求めないから変わらないのか,変わらないから変化から力を得られないのかよくわからないけど,中学の頃云々って…10年もたてば時効だよね?いいわけだよね?違うのかね?

別の件で同じようなことを聞いてなんだそれはと思った。甘えるのもいい加減にしろという。それとかぶってしまったかもしれない。この増田には悪いことをした。でもなぁ…いつまでも自分は被害者であるという顔をしているのは疲れないのか。自分に起きる悪いことの半分は必ず自分のせいで半分は必ず相手のせいであって完璧被害者というのは純粋被害者というのは存在しない。どうして「被害者」という檻を破って出てこないんだろう,弱者で居続けたがるのだろう。そこが居心地がいいから?まぁそうだよね,適度に承認してくれる彼女は作れる程度にコミュニケーションができるのなら,それが当たり前ならだから大事にしないで相手を傷つけてもそれについて悪かったなと思うのもふくめて自分の言い訳を強化するためでしかないのなら,完全に自分にしか目が向いていないのなら,それは楽かもしれない。私はそんなことは望まないけれども。

2008-05-17

[]何でだろうどうしてだろうって言うのは簡単で 15:01 何でだろうどうしてだろうって言うのは簡単で - さぶだけど。ねた。 を含むブックマーク

自分にも責任があるんじゃないかって言うのも簡単で

でも本質的にどう解決するか、どうやって変わるかあるいは相手を変えさせるか、となるとそういうポーズをとってるだけじゃどうしようもない。

2008-05-07

[]別れを決めたあの五月を思い出す 15:00 別れを決めたあの五月を思い出す - さぶだけど。ねた。 を含むブックマーク

今まさに飛びだそうとする若鳥のように期待と不安に胸をふくらませて空を仰いでいた。五月。緑萌ゆる五月。その判断が間違っていなかったことは今現在公開していないことからも明らかなのだけれども,でも時々わからなくなる。誰のせいでもなく自分のせいでもなくただそうなるしかなかったのだと,時々言えない夜は。

MariuxiMariuxi2012/12/28 10:42It's like you're on a misosin to save me time and money!

cjkpniayzhkcjkpniayzhk2012/12/29 17:09Rum3O5 <a href="http://jhrexxechkgx.com/">jhrexxechkgx</a>

ayhgwfoeyaayhgwfoeya2012/12/30 08:10BqiMOr <a href="http://jtfqyznxsnsv.com/">jtfqyznxsnsv</a>

mvdbvfmvdbvf2012/12/31 14:58IRUNV3 , [url=http://ckpvbxqbxclc.com/]ckpvbxqbxclc[/url], [link=http://kvtrjlsaavbg.com/]kvtrjlsaavbg[/link], http://ymwbpaeuvurs.com/

2008-03-07

[]女の子コード 15:13 女の子コード - さぶだけど。ねた。 を含むブックマーク

  • 女の子らしい振る舞いというやつ
    • おそらくそう指摘すると違うという反応が返ってくるに違いないが
  • トランスさんほど女の子コード忠実になぞった行動を返してくる
    • それに反発する方も女の子コード的な反応をしてきたりとかして
    • なぜならその反応が何を求めているかわかってるからあえて反発→背後で根回し→事が収まったときに溝が残らないようにという
    • それこそが女の子コードっていう
    • 長い人生の中で身についていくんだろうね
    • 賢いことはわかるんだが

JamesJames2012/12/28 22:15Wow! That's a raelly neat answer!

2007-11-18

[]ある個人ブログが終わるとき  21:30 ある個人ブログが終わるとき  - さぶだけど。ねた。 を含むブックマーク

はじめは何もなかった。誰もいなかった。どこの誰にも知られていなかった。9月。カウンターを用意した。メインアカウントでは遠慮してかけなかったようなことを書き始めた。誰も知らないからかけた。

10月になった。的確に話題にのっていたわけではないにせよ、ジェンダー関連の話をし続けることで少しずつブクマがつくようになった。初めてのついたのは教育エントリだった。納得して書き、そしてようやくひとつ目がついたとき、あの時私はすでに満足していたのかもしれない。その世界幸せだった。幸せだったかもしれない。

しかしなぜかある日突然ブクマが勢いよくついた。言及先は今となればわかるがわりと有名なところだった。30を越えたのはあのときが初めてだった。ぼちぼちと3userは越えるような日々が続いた。ねたはたくさんあった。書きたいことだらけだった。至らないところも含めて、アウトプットをするのは楽しかった。ただ、たぶん、それだけだった。

10月が終わろうとする頃、小さく燃えた。100userに一度は達し、それから減った。私は疲弊した。今まではそれほど気にならなかった読み手と書き手の齟齬について思いを馳せた。しかしそれもやがて一段落し、読まれているのかいないのかよくわからない日々が続いた。書きたいことは恐らくたくさんあった。まだまだ、一度も書いていないことがたくさんあった。そうして10月が終わった。

11月になった。いくつかのエントリがほってんとりに上がり、いくつかのエントリにはたくさんのTBがきてしかし恐らく多くは好意的だった。好意的に受け止められていた。あるいはネガティブなものは見えなかったのかもしれない、気にならなかったのかもしれない。PVは日に日にふえ、アンテナ数も気付けば50を越えていた。昼に書き、夜帰ってきてふと気付いてエントリを見に行くとほってんとりしている、そういう日々が続いた。どんなことを書けばよいのか、少しずつわかってきて、そして少しずつ疲れ始めていた。書きたいのはそういうことではなかった。少しずつ、少しずつ、書き手から読み手へと私自身が変容し始めた。私の中の齟齬が無視できなくなりつつあった。

そして12月。何を書いてもブクマがつくようになった。しかしかけない日々が増えた。書きたいことは一気に書くようになった。勢いをつけなければかけなくなった。それでもまだ、楽しさのほうが多かった。たとえ多少齟齬があったにせよまだ、書いていないことだったからだ。それとこれとは別だと思っている問題がたくさんあったからだ。もしかしたら、誰かに届くかもしれないと思っていたからだ。そういうパワーがなければ進めはしなかった。まだそのことに気付かなかった。年末、最後に炎上を経験した。どこかの知らない誰かが、勝手コメント欄でけんかをはじめて、どこの誰だか知らない人が勝手に私のことを代弁した。気付けば私の知らないところで議論が交わされ始めた。私は知らなかった。ただ、一生懸命だった。声を上げれば伝わると信じていた、信じ込んでいた。

年が明けて一月。忙しさも手伝って、がくんと更新頻度が減る。かけることよりかけないことのほうが増え、ぐるぐると同じところをまわり続けているような感覚にさいなまれ始める。言い訳が増え、あらかじめ断り書きが増え、もしくは脊髄反射が増えた。前の見えない闇の中にいるようだった。一月の終わりごろ、教育系のエントリを書き、それがはじめて100userを越えた。恐怖した。決して満足いく文章ではなかった。日頃思っていることではあったけれども、きちんと伝えられているとは微塵にも思えなかった。読み返せば読み返すほどひどい文章だった。頭を抱えた。もう進むことはできないような気がした。

そして二月。さらに更新頻度は下がった。退避場所でつぶやき続けることが増えた。もはや同じことを書いている感覚以外なかった。

学校が落ち着いたのは三月だった。よく寝て、よく学び、よく太陽の光を浴びて少し落ち着いた。腹を決めた。同じことでも書けばいいじゃないか、自分が納得するまで。そう腹を決めた。しかし、更新頻度は増えなかった。粘着的なコメントTBにはもうなれてはいたが、そういう問題ではなかった。明日塾講をやめますは好意的に受け止められたほうだが、その一ヶ月まともにかけたのはそのエントリひとつだけだった。それですら読み返す気になれなかった。もはや私は読み手の一人でしかなかった。読み手が読めるように物語を書く、書き手が読み手に読ませたいように書くのではない、そういう文章ばかり出てきた。ぐるぐると沈んでいく感覚にうなり続けた。

4月は決定的だった。書く気力はもうほとんどなかった。自分の中の乖離はもう無視できるものではなかった。

そして五月。私は回帰した。前年の9月や10月ごろのログはよく読み返したから、いくらでも引っ張り出せた。そこから書き直しを行った。少し安心した。手は動いた。かけないということはなかった。しかし、それでも、胸の中に沈殿した澱は簡単には消えなかった。そうするうちに六月になり、ついにプライベートモードへ移行することになった。

プライベートモードにしている間、ひどく静かだった。世界はひどく静かで、風は生ぬるく、木々は青々と茂り風に揺れていた。空を見上げる時間が増えた。私は、その景色の中にいた。踏み固めていた地面から目を離せば、まだ、たくさん、考えるべきことはあった。まだまだたくさん。そして、その小さないくつかもよくみればいくらでも踏み固めることができた。そのつながりについて思いを馳せることも可能だった。考えることはまだたくさんあった。まだ、たくさん、あった。

そしてまた戻ってきた。プライベートになったせいでPVは減った。それが逆によかったのだろうか。文章が落ち着いてきて、読み手の求めるものを書く、という頻度が少し減った。なん夜間屋と書いているうちに六月が終わり、七月になった。梅雨はなかなか明けなかった。

七月になると、はてなスターが導入された。スターがつくことで、それだけでいくらかの慰めになった。無言の読者に届く喜びがあった。始めたばかりの頃、届くと信じていた声が知らない誰かに届いていたことを知った。その喜びはいくばくかのものではあったが、変え難い喜びでもあった。書けば1000PVは軽く越える、それが心理的負担にはなったが、しかし、楽しくもあった。同じことを書き続けた。同じことばかり書き続けた。表面上の多少の際はありこそすれ、同じことを書き続けた。書いて書いて書き続けた。時々腹を立てた。反応はさまざまだった。表面上の違いで全く逆の反応が来て、困惑したり納得したりした。読み手でも書き手でもなく、分析者となりつつあった。過去ログは読まなくなった。過去はひっそりと沈殿を始めた。私はそれを忘れた。

八月が過ぎ、九月が来た。

九月は四日しかエントリを上げなかった。実質四エントリのみである。かつてなく激しく心を揺さぶられた。予想しないことであった。一方で予想したことでもあった。もう、無理だろう。そういう予感がはっきりとした形を持った。もう、無理だろう。書き続けて行くことは。生きている限り書き続ける、だが、こうやって書いていくことはもう無理なのだろう。私として、今、23歳としてこうやって書いていくことは、そういう漠然とした予感に私は沈黙した。惰性のように10月がきて、年をとり、そして予定調和のようにエントリをかいた。私は過去を忘れた。たった一年前の感覚を忘れた。書きたいことがないわけではなかった。しかしそこで書きたいとは思わなかった。いつやめるか、それだけだった。

いつの間にか暑さは和らぎ、そうするうちに日が傾き、晩秋がやってきた。11月。美しい季節だと思う。一年に一度、もっとものんびりと時が流れる、11月。やめようと思う気持ちと相反して手は動いた。ふしぎなことだった。もう大して何も気にならなかった。笑った。私は笑った。もう笑う以外なかった。「やめよう」。すとんとその言葉は体の深いところに落ちた。それが一番よいような気がした。誰にも伝わらない、誰にも伝えようとしない文章を書くことを私は好とはしたくない。好まない。何を書いても、同じことだった。同じことしか書いていなかった。しかし相変わらず反応はさまざまだった。誰が口を出すかによって風は大きく変わった。私の心の中だけ凪だった。

更新を停止を宣言した夜、すべきことはいくつかあったが、しかしいままでにないすがすがしさが満ち溢れていた。風が冷たくなっていた。私は首をすくめてジャケットの中で縮こまった。また、新しいところで書き始めればいいのだ。私は書き手として、書き手のままで。そのことを忘れてしまった。書き手が読みたくないような文章は誰の元にも届かない。書き手が読み手と同化してしまっては読み手として可視化される人間にしか届かない。私はそのことを忘れてしまった。もう一度過去ログを読み返したとき、涙があふれた。書き手として私が残した意志がところどころに抵抗として残るのを見た。わからないといわれその部分は不要だといわれあるいは叩かれ腐されていたが、それが私だった。書き手として必死に守り続けていた部分だった。私はその部分を手に取った。そしてためすがえす眺めた。


まだ、書きたいことはある。ここに。

FlavioFlavio2012/12/28 07:31So true. Honesty and everytinhg recognized.