さぶだけど。ねた。

2006-10-02ちょっくら欝気味ですが一応元気です。

[]私のこともたまに13:36 私のこともたまには - さぶだけど。ねた。 を含むブックマーク

地下鉄サリン事件からそれほど日が経たない土日に姉と母は東京へ出かけた。父は仕事だった。たいてい土日はいなかった。妹二人を抱えて私は途方にくれた。まだ小学生だった。

当時住んでいたところは田舎だったが空港のそばだった。まことしやかにこのあたりも危険なのではないかという噂が飛び交っていた。実際にそれから数年後に同時多発テロがおきたことを考えれば、あの噂は確かに信憑性があったかもしれない。だが、姉と母は出かけた。まだ幼かった私は不安でいたたまれなかった。父は空港で働いていたので、職場電話番号を手の甲に書いた。まだ携帯のなかった時代だ。でかけていく姉と母を見送った後は漠然とした不安が残った。妹二人はまだ小さくてあまりよくわかっていなかったが、漠然とした不安は伝わっていて三人とも落ち着かなかった。何か起きたら私はどうすればいいのか、そればかり考えていた。父の職場だって安心とはいえなかった。どうすればいいのか。電話がかかってきたら、何か起きたら、近所の人たちもパニックに陥るのではないか、避難場所は、避難場所は安全なのだろうか。

窓を閉め、鍵を閉め、雨戸も閉めて、お湯をたくさん沸かしてリビングで妹たちにテレビゲームをさせながら、私はあれやこれやと不安にくれて思考をめぐらせていた。母が念のためにと通帳や印鑑を一つの袋にまとめて私に渡していた。何かあったらこれをもって逃げなさいと。何かとは何か?強盗がきたら*1?一つのところに大事なものが全部集まっていて、妹二人がいて、雨戸のしまっている部屋から外にたすけの声は届くだろうか。不安になったので小さいほうの窓の雨戸は開けた。落ち着かなく、不安だった。何かあったら。何かあったら私は妹二人を守らなければならない。何かあったら。

母は姉と自分の命を気にかけていればよかった。

父は自分の命を気にかけていればよかった。

私は私と妹二人の命を気にかけなければならなかった。圧倒的に弱いものだけが残されていた。



そんな私にこれからは私たちを守れ、と母は言う。私たちとは父と母だ。確かに年老いた。だが、彼らは幼い私たちを守らなかった。幼い妹たちの責任を私に押し付けた。それでもなお私は彼らを守らねばならないのか。彼らの行動に責任を負わねばならないのか。彼らは私に責任は負わなかった。彼らは私の不安に寄り添おうとしたこともなかった。どんなときも。転校していじめられたときも、姉のせいで担任にいじめられていたときも中学時代も、高校受験のときも大学受験のときも大学に入ってからも、彼らは私を守ろうとしたことはなかった。守るどころか足を引っ張り、私を慢性的に欝気味にさせた。お金を払うという責任はおったかもしれない。だが、高校受験のときも大学受験のときも大学院受験のときも私の進路の片方にはかならず「就職」という選択肢があって、なにかあると必ず彼らはそれを選ぶように強要した。高校奨学金がなければおそらくいけなかったし、大学は知名度がなければおそらくいけなかった。浪人が出来たのも現役のときに足切りにあわなかったからだ。何もしないならまだいい、足を引っ張り責任押し付け不安をあおり、精神的に追い詰め、時には暴力をふるい時には無視をし、それでもなお私はこれから彼らの責任を負わねばならないのだろうか。それでも?まだ?これ以上?なぜ?

彼らは妹が二浪したという事実に対して責任を感じない。自分たちのせいだとつゆとも思わない。私のせいだから。私が協力しないから、私が勉強を教えてやらないからだ、と彼らは言った。私のせい?なぜ?妹は文系で志望大学も違って、私は上京していてそれでもなおなぜ私は妹の責任を負わねばならないのか。妹の人生を追わねばならないのか。私は妹の母親ではない。単にさきにうまれただけのきょうだいである。しかも年子である。それでも私は妹の責任を負わねばならないのか。妹を志望大学に押し込めねばならないのか。現実を見ることが出来ない妹をしかったりなだめたりしながら?なぜ?私には大学があってとらなければならない授業があって、同時に姉を養わねばならなかったのに、それでも妹の人生を私が負わねばならないのだろうか?

彼らはまた、妹小が神経症になり、第一志望の大学にいけなかったときに私のせいにした。妹小が神経症になったのは私の責任ではない。妹小が小学校に上がる前から母は姉について東京へ行っていた。父はいつも仕事でいなかった。私だってまだ小学生だった。自分のことで精一杯の子供だ。それでも妹たちの面倒を見ていた。妹小はかなり小さい頃から癇癪もちだったが、どうにかうまいこと生活を送るために私はそれを叱ったりはしなかった。わめいたり泣いたりされるほうが面倒だったので、癇癪を起こすと大体かわりにそれをやってやっていた。おそらく今もそれが原因で妹小は根気がない。精神的に弱い。誰かに助けてもらえると思っている。でもそれもわたしのせいだろうか?私は妹小の母親ではない。姉である。たかだか四つ年上なだけである。それでもやはり私は親のように妹小に厳しくあるべきだったというのだろうか?妹小がセンターで失敗したり私大に落ちたのも、浪人はしたくないというのも私の責任だというのだろうか?すべて?なぜ?


私は何か間違っていたのだろうか。いや、正しかったとは思わない。でも私は当時の私なりに、まだ世界というものをはっきりとつかめないまま、できる限り円滑に妹たちに被害が及ばぬように生活を送っていただけだ。私が選んだわけではない。まだティーンエイジになる前から年齢不相応の責任を負わされていても、当時は文句すら言えなかった。それを言ってはいけないのだと思っていた。そうやって毎日毎日生活をしていた私は間違っていたのだろうか。私はもっと大人であるべきだったのだろうか。私はもっと早くに大人にならねばならなかったのだろうか。

私は友達と遊びに行ったことがほとんどない。だから友達と遊びにいくとき、後ろめたさがある。遊びに言ってくる、といえない。無邪気に今日の出来事を話すことができない。楽しんできた、といえない。私は楽しめない。お小遣いもほとんどもらったことがない。だから自分のためにお金が使えない。お金の使い方は今もよくわからない。自由になるお金の使い方、というものが。現在は月に5000円程度は自由になる。だが、それを何に使えばよいのかわからない。私に物欲はあまりない。買えないことはそれほど苦痛ではない。むしろ買ってしまったときの後悔や、買ったものをどうやって使うかのほうが私にとっては悩ましい。

私はどうすべきだったのだろうか。私は、ただ、精一杯だっただけだ。いつだって、大人の能力を求められてきたからそれに答えようと必死だっただけだ。私はもっと無邪気になりたい。無邪気にわがままを言ってみたりしたい。つらいときにつらいといいたい。でもそれは許されてこなかった、それをするわけにはいかなかった。だから私は思いを口にはしなくなってしまった。私は思いを溜め込むようになってしまった。本当は言いたいことはたくさんある。語りたい言葉はたくさんある。もっと気楽に怒ってみたい、悲しんでみたい、拗ねてみたい、駄々をこねてみたい、楽しんでみたい。


私は、もっと、自由に、なりたい。

*1:当時はまだ犬を飼っていなかったのでそういう心配があった

AdamAdam2013/08/13 04:59I'm not wothry to be in the same forum. ROTFL

OanaOana2013/08/14 01:18I feel <a href="http://yesxdxkg.com">saefisitd</a> after reading that one.

KirilKiril2013/08/14 16:02Sharp thinikng! Thanks for the answer. http://gqbvtlbbqn.com [url=http://wsrxpmr.com]wsrxpmr[/url] [link=http://jeheqrugh.com]jeheqrugh[/link]