さぶだけど。ねた。

2007-11-18

[]ある個人ブログが終わるとき  21:30 ある個人ブログが終わるとき  - さぶだけど。ねた。 を含むブックマーク

はじめは何もなかった。誰もいなかった。どこの誰にも知られていなかった。9月。カウンターを用意した。メインアカウントでは遠慮してかけなかったようなことを書き始めた。誰も知らないからかけた。

10月になった。的確に話題にのっていたわけではないにせよ、ジェンダー関連の話をし続けることで少しずつブクマがつくようになった。初めてのついたのは教育エントリだった。納得して書き、そしてようやくひとつ目がついたとき、あの時私はすでに満足していたのかもしれない。その世界幸せだった。幸せだったかもしれない。

しかしなぜかある日突然ブクマが勢いよくついた。言及先は今となればわかるがわりと有名なところだった。30を越えたのはあのときが初めてだった。ぼちぼちと3userは越えるような日々が続いた。ねたはたくさんあった。書きたいことだらけだった。至らないところも含めて、アウトプットをするのは楽しかった。ただ、たぶん、それだけだった。

10月が終わろうとする頃、小さく燃えた。100userに一度は達し、それから減った。私は疲弊した。今まではそれほど気にならなかった読み手と書き手の齟齬について思いを馳せた。しかしそれもやがて一段落し、読まれているのかいないのかよくわからない日々が続いた。書きたいことは恐らくたくさんあった。まだまだ、一度も書いていないことがたくさんあった。そうして10月が終わった。

11月になった。いくつかのエントリがほってんとりに上がり、いくつかのエントリにはたくさんのTBがきてしかし恐らく多くは好意的だった。好意的に受け止められていた。あるいはネガティブなものは見えなかったのかもしれない、気にならなかったのかもしれない。PVは日に日にふえ、アンテナ数も気付けば50を越えていた。昼に書き、夜帰ってきてふと気付いてエントリを見に行くとほってんとりしている、そういう日々が続いた。どんなことを書けばよいのか、少しずつわかってきて、そして少しずつ疲れ始めていた。書きたいのはそういうことではなかった。少しずつ、少しずつ、書き手から読み手へと私自身が変容し始めた。私の中の齟齬が無視できなくなりつつあった。

そして12月。何を書いてもブクマがつくようになった。しかしかけない日々が増えた。書きたいことは一気に書くようになった。勢いをつけなければかけなくなった。それでもまだ、楽しさのほうが多かった。たとえ多少齟齬があったにせよまだ、書いていないことだったからだ。それとこれとは別だと思っている問題がたくさんあったからだ。もしかしたら、誰かに届くかもしれないと思っていたからだ。そういうパワーがなければ進めはしなかった。まだそのことに気付かなかった。年末、最後に炎上を経験した。どこかの知らない誰かが、勝手コメント欄でけんかをはじめて、どこの誰だか知らない人が勝手に私のことを代弁した。気付けば私の知らないところで議論が交わされ始めた。私は知らなかった。ただ、一生懸命だった。声を上げれば伝わると信じていた、信じ込んでいた。

年が明けて一月。忙しさも手伝って、がくんと更新頻度が減る。かけることよりかけないことのほうが増え、ぐるぐると同じところをまわり続けているような感覚にさいなまれ始める。言い訳が増え、あらかじめ断り書きが増え、もしくは脊髄反射が増えた。前の見えない闇の中にいるようだった。一月の終わりごろ、教育系のエントリを書き、それがはじめて100userを越えた。恐怖した。決して満足いく文章ではなかった。日頃思っていることではあったけれども、きちんと伝えられているとは微塵にも思えなかった。読み返せば読み返すほどひどい文章だった。頭を抱えた。もう進むことはできないような気がした。

そして二月。さらに更新頻度は下がった。退避場所でつぶやき続けることが増えた。もはや同じことを書いている感覚以外なかった。

学校が落ち着いたのは三月だった。よく寝て、よく学び、よく太陽の光を浴びて少し落ち着いた。腹を決めた。同じことでも書けばいいじゃないか、自分が納得するまで。そう腹を決めた。しかし、更新頻度は増えなかった。粘着的なコメントTBにはもうなれてはいたが、そういう問題ではなかった。明日塾講をやめますは好意的に受け止められたほうだが、その一ヶ月まともにかけたのはそのエントリひとつだけだった。それですら読み返す気になれなかった。もはや私は読み手の一人でしかなかった。読み手が読めるように物語を書く、書き手が読み手に読ませたいように書くのではない、そういう文章ばかり出てきた。ぐるぐると沈んでいく感覚にうなり続けた。

4月は決定的だった。書く気力はもうほとんどなかった。自分の中の乖離はもう無視できるものではなかった。

そして五月。私は回帰した。前年の9月や10月ごろのログはよく読み返したから、いくらでも引っ張り出せた。そこから書き直しを行った。少し安心した。手は動いた。かけないということはなかった。しかし、それでも、胸の中に沈殿した澱は簡単には消えなかった。そうするうちに六月になり、ついにプライベートモードへ移行することになった。

プライベートモードにしている間、ひどく静かだった。世界はひどく静かで、風は生ぬるく、木々は青々と茂り風に揺れていた。空を見上げる時間が増えた。私は、その景色の中にいた。踏み固めていた地面から目を離せば、まだ、たくさん、考えるべきことはあった。まだまだたくさん。そして、その小さないくつかもよくみればいくらでも踏み固めることができた。そのつながりについて思いを馳せることも可能だった。考えることはまだたくさんあった。まだ、たくさん、あった。

そしてまた戻ってきた。プライベートになったせいでPVは減った。それが逆によかったのだろうか。文章が落ち着いてきて、読み手の求めるものを書く、という頻度が少し減った。なん夜間屋と書いているうちに六月が終わり、七月になった。梅雨はなかなか明けなかった。

七月になると、はてなスターが導入された。スターがつくことで、それだけでいくらかの慰めになった。無言の読者に届く喜びがあった。始めたばかりの頃、届くと信じていた声が知らない誰かに届いていたことを知った。その喜びはいくばくかのものではあったが、変え難い喜びでもあった。書けば1000PVは軽く越える、それが心理的負担にはなったが、しかし、楽しくもあった。同じことを書き続けた。同じことばかり書き続けた。表面上の多少の際はありこそすれ、同じことを書き続けた。書いて書いて書き続けた。時々腹を立てた。反応はさまざまだった。表面上の違いで全く逆の反応が来て、困惑したり納得したりした。読み手でも書き手でもなく、分析者となりつつあった。過去ログは読まなくなった。過去はひっそりと沈殿を始めた。私はそれを忘れた。

八月が過ぎ、九月が来た。

九月は四日しかエントリを上げなかった。実質四エントリのみである。かつてなく激しく心を揺さぶられた。予想しないことであった。一方で予想したことでもあった。もう、無理だろう。そういう予感がはっきりとした形を持った。もう、無理だろう。書き続けて行くことは。生きている限り書き続ける、だが、こうやって書いていくことはもう無理なのだろう。私として、今、23歳としてこうやって書いていくことは、そういう漠然とした予感に私は沈黙した。惰性のように10月がきて、年をとり、そして予定調和のようにエントリをかいた。私は過去を忘れた。たった一年前の感覚を忘れた。書きたいことがないわけではなかった。しかしそこで書きたいとは思わなかった。いつやめるか、それだけだった。

いつの間にか暑さは和らぎ、そうするうちに日が傾き、晩秋がやってきた。11月。美しい季節だと思う。一年に一度、もっとものんびりと時が流れる、11月。やめようと思う気持ちと相反して手は動いた。ふしぎなことだった。もう大して何も気にならなかった。笑った。私は笑った。もう笑う以外なかった。「やめよう」。すとんとその言葉は体の深いところに落ちた。それが一番よいような気がした。誰にも伝わらない、誰にも伝えようとしない文章を書くことを私は好とはしたくない。好まない。何を書いても、同じことだった。同じことしか書いていなかった。しかし相変わらず反応はさまざまだった。誰が口を出すかによって風は大きく変わった。私の心の中だけ凪だった。

更新を停止を宣言した夜、すべきことはいくつかあったが、しかしいままでにないすがすがしさが満ち溢れていた。風が冷たくなっていた。私は首をすくめてジャケットの中で縮こまった。また、新しいところで書き始めればいいのだ。私は書き手として、書き手のままで。そのことを忘れてしまった。書き手が読みたくないような文章は誰の元にも届かない。書き手が読み手と同化してしまっては読み手として可視化される人間にしか届かない。私はそのことを忘れてしまった。もう一度過去ログを読み返したとき、涙があふれた。書き手として私が残した意志がところどころに抵抗として残るのを見た。わからないといわれその部分は不要だといわれあるいは叩かれ腐されていたが、それが私だった。書き手として必死に守り続けていた部分だった。私はその部分を手に取った。そしてためすがえす眺めた。


まだ、書きたいことはある。ここに。

FlavioFlavio2012/12/28 07:31So true. Honesty and everytinhg recognized.

2007-11-17

[]あんまりやりすぎると無責任になる 19:03 あんまりやりすぎると無責任になる - さぶだけど。ねた。 を含むブックマーク

というか誰にも見られてないと思ってもきちんとできるほど私は偉い人間ではない。ま、そゆこと。


[]文理あわせて二割か… 19:17 文理あわせて二割か… - さぶだけど。ねた。 を含むブックマーク

http://www.asahi.com/life/update/1116/TKY200711160040.html

とその反応

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/life/update/1116/TKY200711160040.html

バックラッシュ(笑)


さて、まじめに書こう。

typewhite 東大 何より切実なのは理系女子。説明書云々抜きで周囲に同じ境遇の人間が少ないのは負担。

うんうん。この人は優しいなぁというか知ってるのかな。同じ境遇の人がいないときの負担というのを。前にClaudiaさんが大きなことではないが、共感やそういうのが得られなくてつらくてやめたくなったということをコメントで書いてくれたことがあったけれども、そういう積み重ねがどれだけ人の負担になってくるかを想像できる人というのは本当に少ない。あうんの呼吸というのがどれだけ楽で、それがない(一から従まで説明しなければならない。あるいは説明しても分かり合えない)というのがどれだけ負担になるか、というのを考えるのはおそらく難しいのだろう。これが内部問題。

東大」とつくだけでバックラッシュは増える。たたいていいと思ってる。あるいはコンプレックスかもしれない。そういう難しさ。本人を前にしていても「東大いらねー使えねー」ということを平気でいえてしまい、それを大声で言っても誰もとがめない世界。それが世間。外部問題。

まぁその辺。埋めていくには丁寧に説明するしかないし、ある程度信頼関係を築くまでは所属は明かさないほうがよいのだろう。おそらくは。それでも、いったん明らかになれば変わる場合もある。変わらない場合はこの人は別だから、である。何事においてもそう。ある程度の傾向は見られるが、しかし、ある程度の個性も見られる。そのトレードオフ関係について自覚的でない人のほうが多い。相手のこととなると切り分けてしまう。そういうことがなんと多いだろうか。ややこしい世界だ。


アピールするとすればね、私の場合進ふりなんだよね、やっぱりね。受験でとりあえずわからないけど好きかも、と決めるよりは入ってから研究室見学いったり授業にもぐりこんだりしながら決めていけるというのはなかなかよいことだと思う。大学数学とかに触れてから、あぁやっぱり無理かもできるかもと選択する道を余裕を持って選んでいけるというのはなかなか高校生がすることは難しい。しんふりがなければ私は今の学科は選ばなかった。今の学科は内部性に対してすら非常にアピールが下手なのに、高校生にアピールなんかできるのか?あるのかないのかすら知らない人が多いというのに…ねぇ。まぁ進ふりまでの教養の授業はくそつまらないんだけど、まぁまぁ面白かったこともあった。だから、まぁ。。。わからないけどね。

2007-11-14

いい大人の中二病か 17:47 いい大人の中二病か - さぶだけど。ねた。 を含むブックマーク

こういうのも何だが、私の「プライド」はあなたのそれよりもさらに強かったように思う。「学力」という点では学校一、二どころか、中学を卒業させられる頃には高校で履修する科目は全部終わっていた(ので私は大検を15で取った)。東大程度じゃ私の「プライド」は満足しないと本気で思っていた。大検を通ったことだし、そのまますぐに年齢制限のない合州国の大学に行こうと決意して、書類をよこせと文部省(当時)に言ったら、「書類は満18歳になる年度開始まで出せない」と言われた。そのことは「日本になんていられねえ」という私の気持ちをさらに強くした。

404 Blog Not Found:プライドの高さ=井戸の高さ

なんだかねぇ…15の時点で高校で履修する科目がほぼ全部終わってる学校なんていくらだってあるやん。それこそ星の数いる。だったら完全に終えてしまってる人だってまぁそれよりは少ないがいるだろうよ。それと大学入試はまた別の話だよ。どれだけミスをなくすか,どれだけつまらないと思えることをやり続けるか,もしくはつまらないと思えることに対して興味を維持させられ続けるかそういうことだろ。それとこれとはまったく別の話。いい大人が何をむきになってるんだという感じはする。

なんだろう。なんだか悲しみを感じるよ。なんともいえない。まだそこからぬけだせないんだろうか?私もいっぱい抜け出せないことはあるけど,出すこと自体は大したことないと思うけれども,それとこれを一緒に重ねてしまうのはどうなの。それをよいとか名文とかためになるとかいっちゃうのはどうなの。

東大程度といいたいならうけてからいえ。センター受けて二次試験の試験表を手にしてからいえ。いや,別にたぶんその必要はないけど,こういう人にはそういうことを言っとくべきなのかもしれない。とかおもった。こじらせる前に。弾さんはもうそれなりの地位あるからいいんだろうけど,こだわるなら今からでもできることだしねぇ…。

RajkumarRajkumar2013/04/04 21:24Your articles are for when it absolutely, positively, needs to be understood ovneright.

dhypazedhypaze2013/04/08 00:54GTugZk <a href="http://mvgbcgcnwauo.com/">mvgbcgcnwauo</a>

2007-11-06

[]嫌うなら嫌えばよいとは思うが 00:52 嫌うなら嫌えばよいとは思うが - さぶだけど。ねた。 を含むブックマーク

んーむ。まぁいいけど。いろいろとかみ合わないというか真逆というのはわかってたことだよねみたいな。

MaiteMaite2012/12/29 04:45This "free sharing" of information seems too good to be true. Like cmomuinsm.

gqfmwjagqfmwja2012/12/31 01:27WrPFPv , [url=http://fhrzgyajfqhi.com/]fhrzgyajfqhi[/url], [link=http://lgyxtvwuhtha.com/]lgyxtvwuhtha[/link], http://cdyxhydhwksq.com/

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